Last Updated on 2025年7月10日 by 成田滋
エニグマの暗号装置は、キーボードと26文字のランプボードを備えていました。オペレーターが文字を入力すると、ランプボード上の異なる文字が点灯し、それが記録されて暗号化されたメッセージが生成されます。エニグマ暗号の安全性を極めていたのは、回転ホイール(陸軍用は3つ、海軍用は4つ)のシステムでした。これらのホイールは、キーボードとランプボード間の電気的接続を絶えず切り替え、同じ文字を繰り返し入力しても毎回異なる暗号化された文字が生成されるようになっていました。
この機械の暗号は、ローター式暗号機を使い、複雑な変換で通信内容を暗号化していました。その使用目的は、陸軍・海軍・空軍・Uボート(U-Boat)といわれる潜水艦での通信でした。エニグマの解読は難しいものだったようです。その理由は、エンコーダーの設定の組み合わせが多様だったため、エニグマの暗号は解読が困難でした。オペレーターは毎日の指示に従って、機械の回転ホイールとプラグボードを事前に決められた異なる位置に設定し、暗号を定期的に変更しました。メッセージを送信する前に、オペレーターはホイールを受信者が知っている特定の開始位置に設定していました。
しかし、エニグマ暗号は、1930年代初頭にポーランド人(Polish)数学者のマリアン・レイェフスキの(Marian Adam Rejewski)指導のもとで解読されます。1939年、ナチスのポーランド侵攻の可能性が高まる中、ポーランド人はイギリスに情報を提供しました。イギリスは数学者アラン・チューリング(Alan M. Turing)の指揮下で、ウルトラ(Ultra)と呼ばれる秘密暗号解読グループを組織しました。ドイツは暗号装置を日本と共有していたため、ウルトラは太平洋戦争において日本軍が使っていた暗号を解読し、連合国の勝利にも貢献したといわれます。
第二次世界大戦中のイギリスの暗号解読拠点は、政府暗号学校(The Government Code and Cypher School: GC&CS)と呼ばれ、「ブレッチリー・パーク」(Bletchley Park)という場所にありました。ナチス・ドイツの暗号を解読するために使用した場所です。通信を解読することに成功し、戦争の潮目を変える役割を果たしたという評価を受けます。ブレッチリー・パークで、数学者アラン・チューリングが高度な暗号解読装置「ボンベ」(Bombe)を開発し、暗号解読の取り組みを飛躍的に進歩させました。1941年6月までに、チューリングのチームはUボートの日常的な通信を解読することに成功します。
この情報優位性は極めて重要であり、Uボートはアメリカからの商船を数ヶ月以内にイギリスを飢餓に陥れるほどの勢いで沈めていきます。ですがエニグマ通信から得られたウルトラ情報は解読され、潜水艦の位置を明らかにして連合軍艦や輸送船がUボートを回避できるようにしました。こうして情報を解読できたことは、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線の両方で連合軍の勝利に貢献します。暗号の解読により戦争の終結を2年早めたといわれています。まさに情報戦争の勝利ともいえる結果です。
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